毎日が春休み

明日から本気だすからねえねえ ねむねむぐっすりしてからの ほうがいい

桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿

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いつのまにか桜の季節になっている。

桜を見ると、以前の大家さんが言っていた「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という言葉を思い出す。

以前住んでいた京都北山の茶室住宅の庭には桜の樹があった。立派な太い幹の樹で、毛虫はつくかもしれないが、花見ができるのであれば毛虫は大して厭わしいことでもないだろうと思った。庭には待合用の腰掛けもあって、花見には最適な環境に思われた。

だが、しばらくして、突然、その桜の樹は根元近くから伐採されてしまった。その頃、家の庭にはいつも大工さんが出入りしてて屋根をいじっていた。雨漏りを修理してくれているのかと思ったら屋根にソーラーパネルをつけていたのだ。おそらく、桜の樹は坂の上にあり、屋根に影を作っていたので煩わしかったのだろう。残念に思ったが、私たちはただの店子であるので仕方がないなあと思っていた。

夏のある日、庭を見ると大家さんがいた。大家さんは仙人のような風貌の方で、髪は腰まで届くような白髪、白い顎鬚も長く伸びていて、いつでも和服、下駄という服装の方だった。私は大家さんにあいさつしたが、大家さんはこちらの顔も見ずに、桜の切り株をみて「昔から桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿というのに、誰が桜を切ってしまったのだろう」とつぶやいていた。あなたが大工さんに切るよう依頼したのだろうに、何を言っているのだろう。私が呆気にとられていると、気が済んだのか大家さんは私たちの家を出ていった。

京都の北山の家には2年弱住んでいたのだが、私達が出ていった後、大家さんは息子さんに家業を引き渡したと聞いた。大家さんは、少し忘れっぽくもなっていたのかもしれない。

わが家では桜の季節になるたびに、この「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」というどうでもよい話で盛り上がる。桜を切る馬鹿は実は自分だったのだよという話である。