毎日が春休み

明日から本気だすからねえねえ ねむねむぐっすりしてからの ほうがいい

好きかどうかぐらいは自分で決めさせてほしい

ふと思い立ってはてなブログに引っ越してきました。以後お見知りおきを。

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ここ1ヶ月ぐらい社会心理学を少し勉強している。心理学については、まったくの門外漢なので、有斐閣の教科書をもとにして毎日少しずつ。

勉強っていうのは逃避の面もある。勉強すると落ち着くんだ。勉強した内容を肥やしにして、新しいこと考えないといけないんだけど、新しいことを考えるにはエネルギーがかなり必要だ。新しいことは間違ってる可能性が高く、試行錯誤であったり、論理的な思考を必要とされる。もう既に評価が定まり、体系的にまとめられてきたものは間違ってる可能性は低く、学ぶだけであったらそれほどエネルギーがいらない。端的にいうと、勉強は楽しい。嫌いじゃない。 

1ヶ月経って、やっと7割ぐらい理解できてきた。社会心理学はめちゃめちゃ面白い。浅学の身ながら、日常生活のあれこれや社会事象を心理学の知見を用いて説明したいという欲求にかられる。それは浅はかでちょっと危険なことだけど。

 対人関係について書かれている頁には、夫婦間の葛藤について書かれてあった。

夫婦間で葛藤が起こりやすい心理特性としては、まず相手に対する「理想化」理想が高すぎると、現実との違いによる落胆が大きくなる(といって「理想」が悪いわけでもなく、相手に理想をもち続けるカップルの方が難局に当たってはポジティブな態度にあたることができるという調査結果もあるらしい)。

また、愛着のスタイルも葛藤の回避に影響を与える。 自己評価が低い人は、問題に直面した際に、愛情やコミットメントの低下を招きやすい。

さらに、相手のいやな行動を相手のいやな行動を、性格や不注意などの内的な原因に帰属しやすいと幸福感が低下する。 一方、外的な環境要因に帰属しやすいカップルでは、相手に対する信頼度が高く幸福感も強い。

ここから個人的な話になるのだが、私は結婚してから12年になる。暦が一巡してしまった。12年とは、二人の人間が一緒にいる年月としては、そこそこ長い年月だと思う。この12年の間に夫婦間の葛藤というのは嫌というほど体験してきた。

夫は技術者で、一年の半分ぐらいは非常に忙しい。平日は終電でしか帰ってこないし、週末も家にいないことが多い。私はポスドクという不安定な専門職で、仕事量を減らそうと思ったらいくらでも減らせてしまう。でも、今後のキャリアや自分の興味のことを考えると、どんどん忙しくしていかなければならないという焦りもある。さらにうちには、2人の子どもがいたりするし、私には持病もあったりするのだから、こんな夫婦生活に葛藤がないほうがおかしいと思う。

 1つ1つの葛藤は、ごくごくつまらないものだ。育児や家事にまつわるあれこれ、コミュニケーション不足、連絡不足、失敗や失念など、小さな小さな出来事の数々。その葛藤の原因を夫の愛情不足や人間としての瑕疵にあるのではないかと思ってしまうと、黒いいらだちが増大する。夫の状況を慮るという大人としての基本的な考えをまずもっておけば、それほどいらだたない。だが、それが続くと、この葛藤は自分が人間として決定的に何かが欠けているせいではないかという責めにつながったりもする。バランスが難しい。

解決方法は、相手の失敗を許す、互いのコミットメントを強くもつこと。社会心理学の教科書にもそんなしか書いていない。結局のところは、試行錯誤していくしかないのだ。

 

ああ、さてさて。さらに個人的なことを書こう。

夫は時々、私に向かって「君は僕のことが好きなんだね」と言うときがある。

私に普通の余裕があるときであれば、「うん、まあ、そうだね」と返事ができるのだけれども、何か心に鬱屈があると「いや、まて、好きかどうかぐらいは私自身に決めさせてくれ」と思う。別に夫のことが嫌いなわけではないだが、感情まで他人に決めつけられるのは勘弁してほしいと思ってしまう。

夫は、自分のことが大好きで、他人が自分のことを嫌いだなんてあんまり想像したことがないように思う。私は夫のそういう面を好ましいと思い結婚したはずなのだが、長年一緒にいると、こういうよいと思っていた側面でさえもちょっとどうかと思ってしまうのだから、対の関係というのは面倒くさい。

結婚生活ってほんまに面倒くさいものだ。でも、人生から面倒なものを取り除いたらスカスカになるに違いない。仕方ない。面倒くさいを受け入れよう。

そんなこんなで、共白髪になるまで穏やかに過ごせるよう、夫へのコミットメントを日々欠かさないようにしようと思うのでした。