毎日が春休み

明日から本気だすからねえねえ ねむねむぐっすりしてからの ほうがいい

難しい問題は小さく分割して考えようと偉い人が言っていた

 上の子は算数に苦手意識があるようだ。

 学校のテストでそれほど悪い点を取ってこないので、さっぱりわからないというわけではないようなのだが、幾何の問題は特に苦手なようだ。

 時々、学校や塾の宿題をしながら「何これー、全然わかんないっ!」と騒いでいたりする。

 私は、小学校の頃の算数の幾何の問題はパズルみたいで楽しかったという記憶しかない。上手な補助線をひくことができればするすると問題を解くことができて、それはとても心地よかった。子供の幾何の問題を見ていると、今でもわくわくして解きたくなる。子供と私とは、得意分野が微妙に違う。

 「お母さんは、高校までは算数や数学を分からないと思ったことがなかったんだよね。でも、大学の数学で『これがさっぱりわからないということか』と衝撃を受けたよ」と、娘に話したところ

「ということは、お母さんと私はつまづくタイミングの違いだけで、二人とも算数が苦手ってことだね」

とまとめられてしまった。

 うん。まあね。まとめすぎのような気もするが、大枠では間違っていない。私は算数ができると思い込んでいただけで、それほど数学の能力には秀でていなかったということが今ならわかるから。

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 上の子が幾何の問題につまづいていたので、補助線を引きながら教えてあげたら

「なぜ線をひくの?」 

と聞いてきた。

 思えば、私は子供の頃、なぜ補助線をひくのか?という疑問を大人に投げかけたことがない。この手の質問を大人に投げかけると「黙っていうとおりにしろ」的なことを言われて失望したことがあったので、疑問を外に出さないようになっていたのだ。

 きっとこういう疑問はとても大事で、娘の知的好奇心を刺激するために私は娘の疑問にきちんと答えなければならない。

 そう気負った私は、頭の中の知識をフル動員させて

 「昔デカルトという偉い人が方法序説という本で、難しい問題は小さく分割して考えなさいということを書いていたんだよ。だからこの手の図形の問題も、小さく分けるために補助線を引くんだよ」

と説明しだしたのだが、娘には「またお母さんが変なこと言い出した」と呆れられてしまった。小学生に物事を教えるのは難しい><

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方法序説」には思索の方法として次のことが述べられている。

  1. 私が真であると認めるのでなければ、どんなことも真として受け入れないこと。注意深く即断と偏見を避けること。
  2. 難問を、できるだけ多くの、しかも問題をよりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること
  3. 思考を順序に従って導くこと。単純で認識しやすいものからはじめて、階段を昇るようにして複雑なものの認識にまで昇っていき、自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間さえも順序を想定して進むこと
  4. すべての場合に、完全な枚挙と全体にわたる見直しをして、なにも見落とさなかったと確信すること。 

 私はデカルト方法序説を読んだ時、ああ、数学で習ったことが書いてあると感動したんだった。それまで哲学と数学が結びついていることを知らなかった。

  子供の頃の私は、大人が行動の理由をきちんと教えてくれなかったと感じていた。「とりあえずやってみろ」ばかりで、汎用性の高い方法を教えてくれないと感じていた。

 でも、大人になった私は、行動の理由を知ったり汎用性の高い方法を身につけるには、経験を重ねることや習慣化することが有効なんだと気付き始めたりもしている。私の説明を嫌がった上の娘も、そのうち私の本棚から方法序説を抜き取って読むかもしれないし。知りたくなったら自分でなんとかするだろう。知的好奇心は、親の説明が下手というぐらいでは、潰れたりしないものだしね。